令制国では越後国と佐渡国の全域に相当する。古代には越国の領土で、五畿七道の北陸道のうち東半分を占めている。旧国名から越佐(えっさ)と表現することもある。
県章は「新」の字を崩した物を中央上に置いて、その周りを「ガタ」を丸く図案化したもので囲んだものである。また、県章とは別にシンボルマークも制定されている。参考
面積は広く、北と西に折れ曲がっており、山や峠が多く立ち並ぶ。地理的要素の違いから、上越地方、中越地方、下越地方、佐渡地方の4地域に大きく分けられている。
2007年4月1日、新潟市が政令指定都市に指定されたため、本州日本海側初の政令指定都市がある県となった。 また、47都道府県中一番上京率の高いのが同県でもある。
人口
1888年の統計では約166万人を擁し、日本一人口の多い道府県であった(→都道府県の人口一覧#1888年(明治21年)、[1])。この時期は、都市化が進んでおらず、日本人の9割近くが農業によって生活を成り立たせていたため、収穫高が大きい新潟県は人口涵養能力が高かった。国勢調査おいて[2]、1940年に200万人を突破し、1955年に247.3万人となったが1970年に236.1万人にまで減少した。その後増加し、1985年に247.8万人に達した。2005年の値は243.1万人で全国14位だったが、2008年6月1日の推計人口では約239.7万人と減少傾向にある。特に、進学や就職などの理由による18歳~24歳の若年層の減少が深刻で、県では人口対策を最重要課題に掲げている。 |