令制国の近江国(江州)と完全に一致する。県名は大津が属していた郡名(滋賀郡)から採用された。「滋賀」自体の語源については滋賀を参照。「滋賀」の発音は、共通語では「し」にアクセントを置く頭高型アクセントであるが、地元では「が」にアクセントを置く尾高型アクセントである(「滋賀県」とする場合は共通語も地元方言も同じアクセント)。
面積は全国で10番目に狭く、内陸県では奈良県、埼玉県に次いで狭い。その狭い面積の半分以上を山地と琵琶湖が占めており、可住地面積は大阪府よりも狭い。
「近江」が「近つ淡海」に由来し、現在も滋賀県が「湖国」と呼ばれるように、琵琶湖は県のシンボルである。産業用水、近隣府県約1400万人の飲用水の源、観光資源としてその存在は大きく、県内の地域性も琵琶湖を挟んで異なる(後述「#地域」参照)。琵琶湖があるために内陸県で唯一漁港を持ち、その数も20港と、海に面する5府県より多い。水運交易が盛んだった中世や近世には若狭湾と京・大坂をつなぐ中継地として、大津や堅田など内水系の重要港湾が数多く発展した。東海道・東山道(中山道)・北陸道が合流する陸上交通の要衝でもあり、「近江を制する者は天下を制す」として度々戦乱の舞台となった。
交通利便のよさは人材の流出をもたらし、戦前まで滋賀県は流入人口よりも流出人口の方が多かった。中世から近代にかけては多くの近江出身者が近江商人として全国各地に進出し、「琵琶湖の鮎は外に出て大きくなる」という諺まで生まれた。太平洋戦争後、高速道路の整備やトラック流通の興隆に伴って交通利便のよさが再認識され、流通拠点や工場が相次いで進出、平成に入ってからはJR西日本のアーバンネットワーク拡大に伴って大阪都市圏のベッドタウンとしても注目されるようになり、地方では数少ない人口増加県へと転じた。ただし開発が進むのは京阪神に近い県南部であり、以前からあった県北部との経済格差が広がる事態となっている。
滋賀県は近畿地方に分類され、文化的・経済的に京都・大阪との結びつきが強いが、中部地方との交流も盛んである。近畿圏整備法で定める「近畿圏」と中部圏開発整備法で定める「中部圏」の両方に含まれ、滋賀県知事は近畿ブロック知事会と中部圏知事会議の両方に出席している(福井県と三重県も同様)。また福井県・岐阜県・三重県とともに「日本まんなか共和国」を設立し、知事サミットや文化交流事業などを行っている。愛知万博で中部8県とともに「中部千年共生村」を共同出展したこともある。県北部は近畿・中京・北陸の交点であり、工場や物流センターの設置計画も進むなど、中部圏の一角としての発展も期待されている。
|